彷徨うおのこ

死ぬまで死なないぜ おれは

時間の流れが早く感じるのは、毎日に新鮮味がなくなるからである

と誰かが言いました。
その通りだと思います。

毎日同じ人間と顔突き合わせ、
毎日同じような仕事を、
毎日同じような時間帯でやることに、

なんの意義を感じれるのだろうか。
毎日に新しいチャレンジを、新しい負荷を与えないと。

須藤元気さん著「風の谷のあの人と結婚する方法」には、
時間の相対性理論について解釈された部分がある。

人間は楽しいことをやっている時間、歳を取らないのだそうだ。
大学一年生の時の新宿での合コンをやっている時、彼は歳を取らなかった。
あの楽しい日々が続けば、
彼は、永遠に大学一年生であり続けることができたそうだ。

自分自身を殺さぬために、僕たちは楽しいことを見つけて、
新しい世界への歩みを止めてはいけないようだ。

ずっと好きになれなかった人の原因がわかった気がした

知り合って7年くらい経つ、O君のことがどうしても好きになれなかった。
その原因・要因というのが自分でもよくわからなかったが、
最近になって理由が分かってきたので、
その記念として理由を言語化してみる。

O君の基本仕様
27才
高校はサッカー部
一浪して慶應の総合情報
細身な感じ。イケメンではないが清潔感ある感
楽天的な日本を代表する企業に就職
今は退職して、自分で株式会社をやっている。

彼は今、色々なことに挑戦しているみたいで、
そして現代的なエリートと言った風情で世の中に自分の立場を表明している最中。

要するに、「現代的なエリート」感というのがミソだ。
それが好きになれなかったのだ。

正解ばかりを追い求める、世の中の需要ばかりを追い求める薄っぺらい人間性に、
自分で考えた主張を述べずに、耳障りの良い意見を技術のみで取りまとめた薄っぺらい意見に、僕は「死ねこいつ。自分のこと話せよ」と軽蔑していたのかもしれない。

いやまぁ、上記スペックを取得するための勤勉さと努力自体は認めるけどね。
サッカー部、慶應、大手IT系、起業
とかさ。正解な訳だ。正解さ。でも本当の彼はどこにあるのか?
ないよね。「もしドラ」を初めて読んだ時の言い知れないイライラ感と同じだ。

売れる要素を詰め込んで、技術によってとりまとめた浅い見識。

人生において「コスパの高さ」のみを追求してきた人間に対して、
高らかに「キモッ」と宣言しようではないか。

注)いや別に、嫉妬した訳じゃないからね!
別にKOなんで私大文系だし!
楽天的な大企業も、別に!いや給料は嫉妬するけどね!
サッカー部とかモテそうだとか思ってないからね!いや俺は格闘技と現場仕事だからまじで男要素しかないし、モテファクター0だけど!!

哲学書を立ち読みして、考えたこと(ゴルギアス、中島義道)

哲学書を立ち読みしている。ここ一週間、合計4時間くらい。
以下の2冊。+一冊は途中

-書名/著者/国/時代-

  1. ゴルギアス/プラトン/ギリシャ/BC400
  2. カノン/中島義道/日本[ドイツ哲学者]/2018
  3. 未成年/ドストエフスキー/ロシア/1860

[気づきの箇条書き]
今の哲学専攻の人は暗い人ばっかりだけど、哲学の祖とも言われる彼らはむしろ明るい人が多くて、議論好きだった。

特にギリシャ哲学などは、みんなの前で堂々と自分の考えをのべ伝えることを是として、
人前で広場で話しまくっていた。

彼らのその明るさの背景は、暗い内面の反動形成なのか、あるいは思考と実生活とは不可分の領域であると、体感でわかっていたためで、思考を机上の学問としないために世の中に打って出ていたのではないかと思う。

また、彼らは考えることは好きな性格だったし、その考えをよく理解してもらいたい人たちであり、また偶然なのか訓練なのかそれを伝えるのが非常に上手だったから、世に偉大な哲学者として知られるようになっただけ。

つまり、彼らは別に「哲学者」とか呼ばれたかった訳ではない、なんとなくそうおさまった感じの印象を受ける。

彼らは、ひま人で粘着質だから物事にある意味とかを異常なまでに考察していたこと。
あとは社会通念からの逸脱を全く気にしなかったこと。

結局、世の中が移り変わっても変わらない真実を「教え」とか抜きにして、
純粋な思考と原体験を通じて気づき、描写しようとしたのが
哲学者の良さかもしれない。

好きな人ができなくなってきた問題についての考察

大学生くらいの頃は、わりとサクサク女の子とか好きになってきたけど、今はそんなに好きになれない。

これだけではないのだが、
かつてできていたことが今は易々とできない
みたいなことが少々ながら出てきた。

若者としての心象風景やメンタリティが最近なくなってきて、
むしろそれを保つために、あえて偽装した振る舞いとしての若者挙動を行なっている自分を発見した。

自然な動作としてのかつて、と、意識的な動作としての今の乖離。
それを受け入れる、そして変化として楽しむことが求められるのかもしれない。

またタイトルに戻ると、
好きだったけど別れた、ということが要員として大きいのかもしれない。
好きではあったけど、なんだか自分が最近イライラしていたので、
それを八つ当たりとかしたくないので、適当に理由つけて別れた。

相手にとってどちらがマシだったのか。
好きだった人に対して幻滅して別れるのが良いか。
それとも
「好きじゃなくなった」と告げられて別れるのか。

わからないけど、とりあえず同じ時間を過ごしたことへのありがとうと、
いつか「結婚を前提に」だの根拠ないこと言って期待持たせたことへのごめんなさいと、
良い人見つけてくれ、とのあの子の将来へのもの思いと、

みたいな複雑な気持ちを、どうせ対面では伝えられないので、ネット上に書いとくだけ。

楽しさを原動力に仕事するって、ヤバイ発想では?

仕事に知的好奇心とか、そういった別のファクターを用いて、モチベートしていく。

ワクワク→のめり込み→ハイパフォーマンス

みたいな図式が最近もてはやされているけど、疑問がある。

嘘だろう。きれいな言葉だと。
仮にそうだとして、楽しい感情がなくなってしまったらどうだろう。
逆に辛くなったらそれは辛い仕事になってしまうねと。

感情によって仕事をせずに、少し違うところに軸を置いて仕事しないと無理だろう。
例えば、お金、立場、休み。とかなんでも良いけど。
見城徹さんの「憂鬱でなければ、仕事じゃない」とかもそれを見越したやつでしょ。

世の風説に流されずに、本当にのびのび仕事する方法を模索しなきゃ。